諦め

こんばんは、阿部です。

今日の記事はクソ真面目かつ長文であり駄文です。相当ヒマな人以外は読まないでください。 

 

気が付いたら四年生も半期が終わってしまいました。早いものです。

中学や高校の同級生たちはもう働いている年齢ってところがつらいですが。

 

大学から始めたアメリカンフットボールも残りわずかです。

長くても1月の上旬までです。なんかおセンチな気分になってしまいますね。

 

あれだけ辞めたかったアメフトを未だに続けているのは不思議なことです。

 

 

なんでアメフトを辞めたくなったのか

 私は二年生の時、一度部活を辞めかけています。

「辞めます」って言いに行ったら全てを論破され、退部する正当な理由が無くなってしまいました。それからはしょうがなく部活を続けました。

 

退部したかった理由は色々あります。大学に入ってまで辛い思いをして練習をしていること、多大なお金と時間を費やしていること、内気な自分と正反対な集団にいること、そもそもアメフトが向いていなかったこと…。その中でも一番の理由は「普通」の生活が送りたかったことです。

 

学部の知り合いや高校の同級生のキャンパスライフを見ていると、自分はなんと外れた生活をしているのだろうと実感することが多く不安が募る日々でした。サークルに入り、バイトをし、恋人がいて、長期休暇には旅行へ行く。私の考える「普通」はそのような生活でした。

 

私はその「普通」の生活を送る彼らに、羨望の眼差しを向けていました。なんて楽しい毎日なんだろう。そりゃそうです。彼らが楽しそうにしてる間、私は勝てない相手に毎日ボコられているのだから。

 

そしてある時、辞める決意をしました。たくさんの言い訳を準備してコーチへ言いに行きましたが上記の結果に終わりました。

 

まぁそれからはグダグダと部活を続け、先輩からは怒られ、後輩にすぐ抜かれ…とかやっている内にいろんなことがどうでもよくなっていました。

 

ダラダラとでも長くやっているとそれが自分の普通になっていくんだなと実感しますね。辛い練習しているけどオフ楽しいしいいかな、お金と時間費やしてもまぁいいかな、内気な自分と正反対な集団だけど自分を変えればいいかな、アメフト向いてないのはしゃーない。そんな風に思うようになりました。

 

そもそも俺は死にたかった

 話は遡りますが、浪人期の11月すっごく死にたいと思う時期がありました。

宅浪ゆえに閉鎖的な環境であったこと、浪人特有の遅れてる感、また全落ちするのではという焦燥感が原因です。もしくは、「人生、さらには生に意味はない」と考える中二病ペシミストであったことが原因でしょう。どちらにせよバカです。

 

その頃はよく「自殺 苦しくない」で検索していました。詳しくは述べませんがその中でも目を引いたものにチャレンジすることにしました。

 

その方法というのがゆったり死に至るタイプのものであったので、徐々に頭がポーっとしてきます。最初は「あぁこのまま死んでいくのか」とか思っていました。しかしなぜか急に全てがどうでもよくなってしまいました。

 

悩み、学力、人間関係、その他もろもろが自分にとってどうでもよくなりました。一種のトリップ状態だったのかもしれませんが、よくわからないです。

ある種の虚無感に襲われた私は何事もなかったかのように勉強を再開しました。

 

 

どうでもいいやって言える人が強い説

 悩みがあるとき、こんな風に諦められるって強いなって思います。

これは高みへと昇っていく強さではなくのらりくらりとやっていく強さです。

変な話ですが、今こうして自分がアメフトしているのも、生きているのも、どうでもいいやって諦められたからです。

 

もちろん、諦めず乗り越えられる人もいてそちらのほうが立派だと思います。しかし、諦めたからダメとか人間のクズってわけではないと思います。時には諦めることも必要ではないかと。

 

ただ、そんな諦めまくりの自分ですが一つだけ諦めていないものがあります。それは自分自身の可能性です。

 

可能性があったらとりあえずやってみて、ダメだった時に初めて諦める選択肢が出てきます。やりもしないのに諦めるのはちょっともったいないし、そこで諦めることってさほど自分にとって興味がないことなのかなって。そう思います。

 

 

 

 

 

まさか3つ目の記事にしてクソ真面目かつ長文駄文を生み出してしまうとは思いませんでした。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。